去年の今日、私はあるチャットを聞きながらその日の授業の組み立てを考えていました。
このチャット画面は当時のそのままをキャプチャーしたものです。時刻はそのまま表示されています。
ボイスを担当する人物は東京に住んでいたのですが、もう片方のボイス担当(九州)とのギャップがうかがえます。
倒壊したときの出口を確保するために、窓や玄関を開け放ちました。
Japan hit by tsunami after massive earthquake byBBC
揺れは長びき、そのうち非常階段から多くの人たちが駆け下りてくる音と困惑したしゃべり声、叫び声が聞こえてきました。窓の外を見ると電柱が傾き、TVをつけると千葉のコンビナートが爆発炎上していました。そして、津波・・・・
そういう状況の中、インターネットはつながり続けました。
大きな余震が続くなか、恐怖と戦いながら状況を把握するための情報収集をネットを介して仲間と昼夜交代で行い、共有しました。
とにかく情報が欲しかった。。。関東に住んでいる私でもこう感じていたので、もっと多くの人に少しでも役に立てればと仲間と集めた情報は自分の管理していたyou tubeにアップ、リンクしてまとめていきました。(今は公開していません)
原発事故をうけ、仕事を辞める覚悟を決め地元へ帰っていった友人。
被災地の友達の訃報に呆然とする親戚。
そして、私自身、そこに立っていることがやっとの状況。
事態を整理する時間さえ与えず、事実はどんどん押し寄せてきたのです。
眠れない日が続き、精神的にも肉体的にも疲れていた私は数日後、仕事場でも笑顔がつくれなかったとおもいます。このとき私は福岡の親戚の家にお世話になろうと決め、仕事を辞めるつもりで出勤しました。
そんな私の隣に座った生徒が開口一番、『先生、地震大丈夫だった?』とのぞき込んできました。
自分だって怖いくせに、、、、ですよ。
そしてそれは、復興していくはずの日本の未来を生きる子供達へ、今私ができることをしていこうと決めた日でした。
これが『今自分にできること』ではなくて 『あの日以来ずっと信念をもってやり続けていること』です。
これからさきも、子供達の笑顔がずっとずっとこの先も続いていくように祈りながら自分に出来ることをしていきます。
他にも亡くなった知り合いへの想い、放射性物質の問題、、、色んな想いや考えはありますが、言葉にはできませんし、したくありません。行動に変えていきます。
今日は311ということで、想いをまとめて省みる機会を自分に設けてみました。ねこさんの内容ではなくてすみません。読んでくださってありがとうございました。